Backyard Talks

「裏庭で閑話」:世の出来事から、折々の思索の跡を辿ります

□日弁連会長のコメントに接して

〇[2017/12/26記]
・数日前、日弁連会長が会長職就任後2年間気にかけておられる問題 について、コメントされている記事を目にしました。
・そのうち、他の外国、特に米国の弁護活動と対比して日本の弁護活 動について触れたご意見に対しては私も長年同様の感慨を抱いてお りましたので、ここに取り上げたいと思います。
・それは、日本の弁護士による訴訟活動及び日本の司法制度が米国弁 護士の弁護活動や米国の司法制度に比べ、競争力がないことを嘆息 しているものでした。すなわち、日本における司法制度が権利救済 を求める原告にとって不十分とか、薄いと考える原告は、日本の制 度や弁護士ではなく、米国その他外国のより厚い救済を求めて、当 該国の弁護士や司法制度を選択するというのです。確かに、証拠開 示制度一つを取ってみても、日本の司法制度はまだまだ不徹底、不 十分の感が否めません。また、損害賠償制度についても、日本では 原則実損害の賠償に止まっており、たとえ加害者や債務者において 故意の程度が悪質な場合でも賠償の限界は相当な因果関係にある損 害の賠償に抑えられています。いわゆる懲罰的賠償による救済が欠 けているのです。したがって、自己の貴重な権利・利益が悪意に満 ちた行為により蹂躙され、多大な損害を受けた被害者や債権者は日 本法の下では十分な救済が得られない嫌いがあるのです。このよう な制度上の差異は何に起因しているのか。ムラ社会内の構成員同士 の争いにおいて、いくら加害者であっても完膚無きまでに叩きのめ すのは弱者を鞭打たないという気風に反するからなのでしょうか?  或いは、ムラ社会における問題解決には金と時間は掛けない、被害  者・債権者も特に訴訟などに多額の費用を掛けたくないという割り  切りがあるのでしょうか?ただ、訴訟を長引かせず、早期解決を望  むのは、米国でも同じ状況があり、余りに高額な弁護士費用を嫌っ  て、陪審裁判以前に和解決着を図るのは通常の姿ということができ  ます。しかし、米国の実態は、こうしたADRが機能するに当っ  て、本番の訴訟制度の下で合理的で、かつ十分手厚い救済が得られ  る細部の制度が種々用意されていて、こうした細部制度を備えた訴  訟制度が最後の切り札として温存されているが故に、より迅速かつ  経済的に機能するADRが実際の紛争解決手段として活用されるの  ではないでしょうか。つまり、正規の制度に十分合理的な裏付けが  あるが故に、むしろ時間・費用をセーブできる、いわゆるADRが  種々開発され、実際の法的トラブル解決や権利救済を促進している  のが実情ではないでしょうか。
・我が国でも、民事訴訟、刑事訴訟、行政争訟の各分野で様々な制度  改革が試みられている最中ではありますが、改めて制度の利用者の  目線に立って一層の時間・費用の削減化を検討しつつ、なお十分な  権利救済を可能にするような司法制度の改善・改良を模索すべきで  はないでしょうか。そのような制度設計の試みが、翻って司法的救  済措置の活用を今よりも活性化させるとともに、訴訟外での多様な  ADRの活用を拡充する途ではないかとつらつら考える次第です。  

□最近の特許係争対応の経験から改めて気づいたこと

〇[2017/12/21記]
・一昨年12月以来、同年2月に某米国企業から米国特許の侵害を理由 に訴訟を提起されていた日本のM社の法務・知財アドバイザーとし て、米国訴訟代理人と共に本訴での防御・反訴提起・米国特許庁異 議申立てを行う等、様々な訴訟法務支援を行ってきました。米国で の提訴から21ヶ月を経て、去る11月下旬に両社の和解により訴え取 下げが実現し、訴訟の終結をみました。1年間の関与とはいえ、事 は訴訟追行であり、気の抜けない日々を久々に体験することになり ました(過去の前職歴中、日本企業S社の法務部長として奉職して いた折りに、2003〜2008年の5年間、米国の半導体事業会社2社 と、米国・中国・台湾で特許侵害訴訟や契約違反訴訟を追行し、米 国では侵害訴訟について連邦高裁で逆転勝訴、契約違反訴訟につい  て調停により和解成立、また中国、台湾での侵害訴訟では和解・訴  え取下げを以って国際紛争を解決した経験がありました。)。
・三度目の対米訴訟を経験し、しかもそれが特許係争であったことか ら、製造・技術開発事業を営む日系企業における特許・IP管理戦略 のあり方と、米国企業における特許戦略のあり方との間には格段の  差があることを改めて実感した次第です。
・すなわち、世上、日本企業は技術では欧米に優る部分が相当あるも のの、優れた技術の成果を特許権の活用を含め事業展開の中でいざ 活用する場面になると欧米企業の手法からみてかなり見劣りがする と指摘されることが少なくありません。そして、このことは大手の 有力日系企業の場合を除き、略(ほぼ)あてはまることなのだと改  めて実感したのです。
・このような現象は、日米欧について様々な局面でも見られることで しょうが、おそらくその原因は教育等人格形成の基礎の部分に根差 すのではないかと推測されます。日本の教育はまだまだ暗記重視の 傾向が強く、5W1Hを使って深く、多面的に思考するという訓練  が不足しているとの印象を抱いています。同じ成果主義を標榜して  いても、日本になお蔓延している、結果重視の成果主義と、基礎か  ら論理的な思考を積み重ねて合理的な結論を導くという欧米型のプ  ロセス重視の成果主義との違いが、上記のような現象を様々な局面  で具現しているのではないでしょうか。
・つまり、欧米型の論理的思考法を実務に浸透させ、日常のビジネス 活動に定着させていかないと、いつまで経っても欧米企業の後塵を 拝するだけに終わってしまい、日本人が本来持っている深堀りに優  れ、かつ繊細なセンスがビジネスの場に反映されず、欧米を凌駕す  ることは難しいのではないでしょうか。例えば、同じアジア人種で  あっても、現代の中国人・中国企業はより欧米型の合理的思考法を  身に着けているのか、或いは長い歴史の中で多様な民族との交わり  を通じて様々な対処法を学んできたという経験に基づいているの  か、俄かにはわかりませんが、明らかに中国企業は欧米企業に伍す  る果断さ、執拗さ等ビジネスに必須の特質を備えているように見え  ます。我々は、遠く離れた欧米人から学ぶだけでなく、隣国の先達  からも学ぶ要素が多々あるように考えることしきりです。<了>